Human resource

人材業界でありコンサル。田舎育ち体育大卒が意識高い系社会人を体現した末路

スポーツが私を殺し、そして生かした。自己分析すると原点が見えた話。

不登校になったことがある人へ

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私もその一人です。

親近感を感じていただいて結構です

不登校って理由がいろいろあるんですよね

まさに千差万別。

 

だから今回は私の経験談を話そうかと思います

ちなみに不登校になった理由は一般のイメージからは離れた理由です。

 

 

不登校になった理由

それは

「オーバートレーニング症候群」です

「オーバートレーニング症候群」とは、過剰なトレーニングが長期間続き、パフォーマンスや運動機能が低下し、疲労が容易に回復しなくなった状態

引用:スポーツナビ 

 要は部活で自分の体を酷使しすぎたんです。

簡単に言えばそういうこと。

 

負荷→不完全な回復→負荷→不完全な回復

これが繰り返された結果、自分の体が本能的に

圧倒的赤信号を発してこれ以上自分の体が負荷を受けないようになるのです。

 

 

症状をもう少し深堀りします

症状は大きく2つに分けられます。慢性的な疲労や動悸(どうき)、息切れ、胸の痛み、食欲低下、手足のしびれ、微熱、体重の減少などの「身体的な症状」と、不眠や不安、うつ、焦り、集中力低下などの「精神的な症状」です。

引用:スポーツナビ

これが主な症状

要約すれば、「身体的」と「精神的」の両方に対して悪影響を与えるということ。

ちなみに私の具体的な症状は「起立性低血圧症」というものでベッドから立ち上がると血圧が急激に低下してまともに立つことができないというものでした。

 

そして先程

不登校になった方に対して「親近感を持ってください」と言いました。

その理由がこちら。

最近では、「オーバートレーニング症候群」の精神的な症状が「うつ病」の症状とほぼ一致していることが注目されており、実際には「オーバートレーニング症候群」と「うつ病」を合併しているケースが少なくないと考えられています。

引用:スポーツナビ

これを要約すれば

オーバートレーニング≒うつ病の可能性があることに加えて

合併して発症するケースがあると考えられている。

 

つまり私は、

うつ病」だったんです。

これはまあ間違いないでしょう。

当時の絶望的な孤独感はさすがにもう感じたくないですからね。

 

その当時の私は

野球部で冬の強化練習の真っ最中でした。

メニューは本当にきつくてランニング系のメニューがほとんどでした。

その中での私は

「やりたくない」

「タイムをきれなかったらどうしよう」

そんなプレッシャーを真に受けて自分をどんどん苦しめていきました。

必然的に身体的な疲労は当然の事、自分の心を押しつぶしていきました。

 

厄介だったのが、

 

自分はこんなにしんどいのに、みんなはなんで終わった後笑ってんだ?

 

そんな比較による劣等感でした。

冷静に考えたらわかってたんです。

みんな同じようにキャパ以上の身体的な負荷を感じていたんです。

けどそんな仲間より自分が明らかに劣っているんじゃないだろうか?

人以上に自分の能力は生まれたときから低かったのではないか?

 

そんな思考が自分を苦しめて

 

 

ある日家の中を歩くことすらできなくなりました。

 

 

そして血圧が安定するまでに3か月。

事実上の不登校になりました。

(当時は治る見通しが立たなかったので、死ぬことすら考えていました)

 

田舎の高校ですからこんな私に理解を示してくれる人は誰もいませんでした。

必然的に孤独を経験しました。

 

これが不登校になるまでの話のほぼ全貌

できるだけシンプルに書きました。

 

 

不登校中の生活

当然学校にいけませんから、

病院に行くか家の中にいるだけの私が何をしていたかというと

「ワンピース」を観てました笑

 

急に薄っぺらい話になってごめんなさい

けど事実を述べています

ちなみにこの時初めてワンピースというものを観ました。

不登校になって日常を失った私ですが

かけ離れた環境に身を置いたら心がだんだん軽くなり

 

色々なものが心の中にスーッと入ってきました。

 

例えばこの名言があると思います

「俺は海賊王になるために死ぬのなら、それでいい。」

主人公ルフィのベタな名言です。

 

自分の夢への道中で死ぬならそれでもかまわないだってさ。

死んでもかまわないだってさ。

自分の夢の道中なら、、、、、

 

 

自分が今、夢の道中じゃないことに気が付きました。

絶対に死にたくはないと思っていることに気が付きました。

 

そして私は日常の一部であった野球を

散々な目に逢った野球を

なんでやっているのかわからなくなりました。

 

 簡単な質問に答えられないんです。

「なんで今野球を一生懸命やってんだ?」

そんな根本的な質問を答えられなかった

それが私の弱点でした。

 

ワンピースの一説なんですけどね

スーッと入ってきたかと思えば私にはこんなに大きなダメージを与えました。

 

 

それからはというものの

生きる「目的」を探しました

高校生レベルの脳みそで。(実際はそれ以下の学力で)それは必死に。

ただ、見つかるわけもなく

未来に期待を寄せる」ことにしたのです。

 

要は、「これからの人生を生きて、いろんなものを見て、そして生きる意味を探そう

そう思ったのです。

そう思えたおかげで

「死のう。この人生を終わりにしよう」と思うことはありませんでした。

 

 

そして、寝たきりになってから3か月後

体調が回復して学校に行けるようになりました。

このまま辞めてもよかったけど

部活にも戻りました

これは、意地です。実は意地っ張りなので。

 

 

それからの私は

2つの約束をたてました

 

1つ目は大学進学を機に上京すること。

田舎にはやはり情報格差がある。人生の選択肢も、人間も、すべてが閉ざされている。これは間違いない事実。

だから上京して、多くの人に会おうと思いました。

それもこれも、生きる目的をみつけるために。

 

2つ目は野球を続ける事。

今まで仲間ができて、追いかけて、必死になって取り組んでいただけの野球を

どうしてやっているかわからなくなった高校時代。

目的は見えなくなったが

きっと、「やろう」と自分を動機付けた理由はどこかしらにはあるはずで

なんなら、下手くそのまま辞めるのがどうしても嫌だった。

ここにも目的を探し、自分とのけじめをつけるために約束をしました

 

(結局、なぜ野球をやっていたかと言えば「野球で人生を切り開いた父親に同じ人生を歩むことで喜んでほしかった」というところに行きつきました。他人の人生を生きようとしていたのです。ただ父親を喜ばせたいのは本心だったのでこの目的を大切に持ち引退までやり切りました。まあ叶わなかったことばっかりなんですけどね笑)

 

大学に行ってみて

様々なことが分かりました。

スポーツ系の大学に進学し、勉強を続けると、

高校時代私が倒れかけになってやっていた練習はスポーツ科学の知見からはかけ離れた指導を受けていたことを知りました。

 

そして

立派に集約されたナレッジもエビデンスもあるにもかかわらず

日本には根拠のない指導(無茶苦茶な指導)をする指導者ばかりであるということ。

そして重大な上記の問題に大して問題意識はあるものの

解決に至らない。解決の見通しが立たないということ。

(言ってしまえば、邪魔な大人がいる。)

つまり、私のような思いをしているプレーヤーが増え続けている可能性がある。

 

 

そんな中でもぶれずに戦い続けている人がいることも知りました。

 

 

そういう人こそ

目的をもって生きている人だと知りました。

そんな大人は少数だけど

確実にいました。

目的があって、ベクトルが外に向いているから

実現のために日々の生活の質が極限まで高い人たちだと知りました。

(こういう人を「意識高いを越えた人」と表現してもいいかと・・・)

 

 

プライベートな話をすれば

人生で初めて

絶対に縁を切りたくない仲間ができました。

(こういう人を親友と呼ぶのでしょうか?)

その仲間は数人いて、みんな揃って私のこの過去の経験に対して

限界まで自分を追い込めたお前を同じアスリートとして誇らしく思う」と言ってくれました。

こんな人も中にはいるんですよ。泣きそうになりました。

生きててよかった、、、と。

 

 

最後に

こんな私と2つだけでいいので、約束してください

私との約束①

苦しい夜があれば、寝ること

日中人と接している人も夜になると大抵一人の時間ができます

そうすると孤独感や、今日の悩みでいっぱいいっぱいになります。

私も今でもそうです。

 

それが夜であればあるほど

その沼は深いように思いますよね。

人間は夜ほどネガティブにものを考えるし、日中レベルの判断力なんて残っていない場合がほとんどです。

だから、一旦寝ましょう。

明日は必ず違う一日が待っています。それが積み重なったら人生を思い悩んだ日以上に自分が素敵な自分になっています。これは絶対そうです。

 

もう一度言います。

一旦寝ましょう。

 

私との約束②

目的を持って生きましょう

 

なんだそれ?

 

そう思うかもしれません。

ここでの目的とは「誰かのために生きる」と

ほぼ同意です。

 

「そんなことできない」

そう思うと思います。

 

ただ、(こっからベタなセリフを吐きます)

 

今そこに生きているだけで、あなたは誰かの幸せの一役を買っています

 

よくお考え下さい

あなたにも、身近な人ほど「生きていてほしい人」っていませんか?

その人の中に必ずあなたは入っています。

そうじゃないと説明しきれないほどの無償の愛情を今までの人生で貰っているのではないでしょうか?

ここから先はご自身でお考え下さい。

 

私から言えるのは

今この瞬間に存在していることにもっと誇りを持っていい

ということです。

水臭い話失礼しました。

 

 

かなり長い記事になりました

こんなに自分の過去の痛い経験を掘ったのは久しぶりです

あまり、いい気分ではありません。

本当は就活中の学生の自己分析の参考になればと思って自分の過去を掘ってみましたがどうしてもそれだけじゃ足らなくなってしまいました笑

 

今回の話は1人の人間が経験した事実です。

多くの人に読んでほしい。私の過去と自分を照らし合わせて、参考にしてほしい。

どこかで私の経験とリンクして、「また頑張ろうかな」と思う人がいると思ってこの記事を書いています。

ただ私のこの発信力の無さがここにきて邪魔になっています。

 

お願いなので

ここまでこの記事を読んだ人は

何かしらの形で拡散してください。

これも私の「目的」の一つなのです。

 

 

私の生きる目的の話は

次の次くらいの記事で紹介します。

今回は長くなりすぎました。口下手すぎました。

 

 

 

うつ病になった私ですが

今もこうやってブログ書きながら

あと数日で大学の卒業式を控えていたり

4月から社会人になることに不安と楽しみを行ったり来たりしながら・・・

ただ、

未来に想像以上の期待を寄せながら

細々と毎日を生きています。

 

こんな人間の生き方もあります。

どうか自信を持ってください。皆さん、私よりはきっと幸せな生活をしていますよ。