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人材業界でありコンサル。田舎育ち体育大卒が意識高い系社会人を体現した末路

休日のスタバはいろんな情報が入ってくる

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本日はオフのため

のんびりと都内を散策していまして、

毎度の恒例としてカフェに入って読書したり記事を書いたりするのですが、

 

今日はほんとに座るのに苦労しました笑

定番のとこしか巡らないからかなとは思うのですが

(スタバ、エクセルシオール・・・)

土曜日のカフェ戦争はなめたらだめですね。

 

スタバなんかは特にそうなのですが

良くも悪くも

席が近いんですよね。

なので隣の方の会話が聞こえてくるわけです。

 

自分の隣で話していたのは

典型的な女性二人組で

私より一歳ほど年上くらいの方でした。

 

どうもその二人は共通の友人の話をしたり

付き合っているとあるカップルをdisったり

しているのがささやかに聞こえるわけで、この間私は全く読書に集中はできていません笑

 

当然がっつり会話を聞いているわけではないので

そんなに内容を把握していませんが、

 

その話なんの意味があるんすか?」

が私の感想でした。

ほんとぶっ冷めているなと思いつつこの記事を書いています笑

 

 

特に何も生まれることもなさそうな会話をひたすら続けて最後にはインスタ用の写真を撮って解散がお決まりのルーティーンなのかもしれません。実際は知りません。

 

私はよく一人行動をしているという話をしていますので今日も当然一人で行動をしてるわけなのですが、自分がほしいのは間違いなく「自由なんですよね。

だから、友人も「自由」を大切にしてくれる人以外はさほど信用していません。先日後輩からも私の同期とのかかわり方を「仕事仲間みたい」と言われたところです笑

 

 

人と無理に行動を共にしないが故、

「さみしいやつ」「残念なやつ」

というレッテルが付きまとっている私です笑

一件損な生き方しているような感じになっていますが、私は「自由」がほしいのでこの一人の時間がとても幸せです笑

 

人と同じこととかはやりに乗るとかみんな一緒とかそういうのが好きではない人間でしたので、

 

赤信号みんなで渡れば怖くない

も私からすれば

赤信号渡れど止まれど赤は赤」ってのが本心。

 

 

 

最近知りましたが、この考えは父親譲りみたいなので遺伝って面白いですね笑

 

 

 

今日、なにが話したかったのかと言えば、

みんな人に【世間の普通に固執】してないかな

という私の些細な疑問がどこぞのスタバで

湧いてきたという話でした。

 

「誰かと一緒が普通」「休日は必ず誰かと」

 社会一般的な常識みたいなのって一旦疑えば何の筋道もない一部の人の独り言だということに気が付くと思います。

 もっと(心が)楽に生きていきたいですね~

 

次は「ホリエモンさん」の話か、

つば九郎」の話をしようと思います笑

 

全然違ってたらごめんなさい笑

 

先日友人が大手企業から内定をもらっていました。

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 今日の話は完全に自分が妬いているみたいな内容になってしまったのですが、そういうわけではなくてですね、

 

 よく考えたら自分は「大手をほとんど受けていない」ということに気づいてしまったのです。

 特に何の違和感もなく、っていうか安定とかネームバリューとか何も考えずに自分が入りたい企業をえらんでしまった・・・

 

 結局私はBtoBの企業に入るのですが、

「知り合いに説明しずらい」というしょうもない悩みに

陥ってしまいました。

 

 同時に近くで大体の人が知っている大手企業に内定をもらった

 友達がいたりしてなんでやねんってなって

もうわけわかめって感じです。

 

 

よくある就活生論争として、

「大手かベンチャーか」という永遠の話題がありますが、

わたしは断然ベンチャー派だったんですよね笑

 

 

なぜかといえばわからないのですが、

フィーリングです。

ただ、「社会で生き抜いていく自分でいたい」という想いは

一番にあるかなと。

大手企業の名前は、本当の自分の力をさし図るにあたっては

邪魔になるのかなって。

 

 

 

そもそもまだ働いていないのにどっちがいいなんてわかりません。

そして私はなかなかのあまのじゃくなので

人と同じ選択をすることを非常に嫌うので、

まあこの選択は必然かなと。

 

あ、普通に自分の能力が低いってのも認めます。笑

良かったことと言われますと・・・

お題「はてなブログをはじめて良かったこと」

 

 まだ個人的によかったことと言える大きな出来事はないのですが、

 

 一つ思ったのは、

 「日本語がうまくなりそうだ」という将来的な期待ですね笑

 

 

基本的に匿名性にこだわっていることや、

内容がへんちくりんな私のブログが

皆様から支持されるとはさほど思っていない(本当は支持してほしいです)ので

 

 

それでもこうやって言葉を羅列していく時間や数というのは

おのずとわたしの糧になるのではないかなと思っています。

 

 

よく変人であったり

なぞキャラに仕立て上げられることが多い私ですが、

ただの大学生ですし、

スポーツばっかしてきた正統派だと自負しています。

 

 

 

「続けることに意味がある」みたいな

何の根拠もないことを信じることが大嫌いなので

 

いっちょ前に「目的」をもって

もくもくと日々ネタを探し

つらつらと更新していきたいと思っています。

 

 

基本的に、コメント等なんでもうぇるかむです。とっても。

私からはいけません。シャイですので。

最近は、スタバのカフェモカにはまりました

 

自分で何言ってるのかわからなくなったのでこの辺にします。

ブログで川柳を「就活」というお題で・・・

今週のお題「ブログ川柳」

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 就活を題材に川柳をちょっと。

 昨日の記事が余りにもナーバスな内容だったので面白半分な内容を目指して今日は書いていきたいと思います笑

 

「黒スーツ、黒いバックに、黒い髪」

「質問です、交通移動費出ますかね」

「学校は言わんでいいよ」「慶応です」

「LINEくれ、情報共有ナンパだろ」

「真夏空、恐らくジャケット着用義務」

「高い系、意識と身なりとSNS」

「就活は自分を見つける旅路かな」

「内定はゴールじゃないよ分岐だよ」

「内定者つながり持とうよ」「遠慮です」

「なんでなの」「どうして」「なぜに」「知らんがな」

「学生がコンサルごっこ始めだす」

「黒スーツ就活生見て一安心」

「大手志望みんなはどうなの?」「知らんがな」

「選ぶなら上場企業で」「好きにせえ」

「条件よりも裁量権です」「知らんがな」

「体育会、ニーズがありすぎキツイやつ」

 

まあこんなもんにしておこうと思います笑

自分で書いてて「知らんがな」ってなったのが一番の収穫です。

またなんか思いついたらしれーっと更新します笑

 

今日の晩。ドンキで奇声をあげながら両親に何かを訴える子供に出会いました。

 最近思ったことではあるんですけど、今日の話の軸は大きく二つ。

1.「場所」  2.「子供の教育」   という軸で題について話していこうと思います。

 

場所

 まずそもそも今日ドンキに行ったのですがそこで買い物する人のイメージの話からしようかなと思います。ドンキは「激安の殿堂」ですからまあコスパがいいわけです。なので、シビアな話になりますが経済力がない人が良く利用しているわけです。まあ一人暮らしの学生である私もまあドンキで買い物しているので同じ分類の人間なんですけどね笑

 また恰好の話をすると、やけにスウェットの人がいるような気がします。完全に偏見です笑

 

 

 若干話が変わりますが、千田琢也さんという著者がいらっしゃいますが、彼は経済力がある人はお金を使って「人間のレベルの高い空間」を作り出すといっています。これを例えたら電車のグリーン席や飛行機の座席などがあると思います。それをドンキに置き換えたら、逆の人間の居場所みたいになりますね。

 

 

子供の教育

 題名の通り、ドンキで買い物していたら奇声をあげている子供に出会いました。別に子供に対して怒りの感情があるというわけではないんです。私が気になったのは両親の方です。

 その親子をついつい観察してしまったのですが、その子供はもともとは普通に会話をしていたのですがひょんなタイミングで奇声をあげて何かを訴え始めました。子供の年齢は小学校3年生くらいだと思います。普通に考えて奇声を上げる必要がない年齢なのです。

 

 そんな子供が親に対して奇声を発してじゃないと訴えていることが伝わらない。世間一般の言葉で言えば「どんな教育してんだよ」ということになる。まあそらそうなのだが、ここで一応「自分ならどんな教育をするとなるとどうなるのか?」ということを考えてみたのだがやはり結婚もしていないし子供がいないから想像がまるで分らなかった。

 

 思ったことは、ドンキにいる人の子供は奇声を発するが、都心の子供が奇声を発するイメージはない。これは人間のレベルの場所と合致するのかな~って。

 経済力と合わせるとあまりにもシビアな話になってしまうからやめたいのだが、本質とか現実とか見てしまったらそういうことなんだろうなと。人のレベルが子供のレベルに直結してそれが要は「子育ての水準」なのかなと。

 

そもそもの話として、子供が多少の発達障害の場合などもあるので毎度のこと自分の勝手な思い違いなのであしからず・・・

 

 

だめだこの話するとネガティブすぎるからこの辺りで終わりにします。あんまりよくない内容でしたね。

教育は130年間失敗を繰り返している。よく考えれば・・・

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 のっけから調子の乗ったことを言っているなと思われたかと思いますが、一つ弁解させていただくとこれは私がとある企業の社長から言われた言葉なので私の意見ではないことを一つご理解いただきたいです(笑)

 ただ、この題に関して話を進めていこうとは思うのですがこんなネタを書こうと思ったきっかけは、「自分の友達」と「就職活動」から影響されています。

 

教員を「なんとなく」目指す友人たち

 恥ずかしながら、私も高校生の時には「教師」という将来像を描いていた一人ではあるです。しかし、気づくと企業就職を選択して間もなく就活が終了しようとしています。

 自分の周りには、教員を目指す人がとても多いのですが、一つ気になる点があってそれが

なぜ教員なのか」がいまいちはっきりしていないことなんです。

 

 当然のように私の認識の中で教員というのは社会的な意義がとても大きい職業だと思っています。国の想いが次世代の若者に伝わっていく重要な架け橋になりますし、視野を広げれば「教育」や「学習」の機会は多くの人が経験しているはずです。極端な話、「教育で解決できない問題はない」と言ってもいいのではないでしょうか。

 

 そんな意義深い仕事を志しているにも関わらず、自らが働く「目的」が定まっていないんです。あるとしても「部活の顧問をしたいから」といった教育が「踏み台」になっている始末です笑

 基本的に人を馬鹿にするつもりは毛頭ないのですが、この状況を就活に置き換えれば十中八九「内定ゼロ」かなと・・・

 

 正直、人の進路など私にしてみれば関係ないのですが、そんな人たちから教育を受ける子供たちはどんな気持ちになるのだろうかと思うと気が気でないんですね。私もそうですし皆さんの過去の経験をさかのぼって登場する「先生」という立場の人たちの中にはどうしても人として尊敬できなかった方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 私は昨年教育実習に行く機会があり学校の先生方と話していると、目的のない方程、生徒からの信頼を獲得できていないんですよね。教育を施す張本人が一本軸が通っていないのが生徒にバレバレみたいです。

 生徒たちも不憫なことに日々目的をもって生活している人なんて一人もいませんでした。当然「教わっていない」からです。

 

 

相手が社会人になると

 題名にもある「教育は130年間失敗を繰り返している」という言葉は私が選考を受けたある教育系の企業の社長がおっしゃっていたのですが、ほんとにその通りかなと思います。だって社会人に対してになれば立派なビジネスとなっているし、根本の部分までAIに仕事を取られることはなく、需要はどんどん広がっている。

 社会人の方の教育に関しての考え方は非常にスマートで、無駄がないんですよね。古臭い例になりますが、やる気がないと勝手に判断された生徒を廊下に立たせる必要もないのですから。そして何より人として優秀だなと思います。よっぽど人として尊敬できる部分が多くあります。

 

 

総じて今回何を言いたかったのかと言えば、すべて「目的」が重要なのかなというとこが今回の終着点です。今日見た記事の中に、Facebookの創業者マークザッカーバーグの言葉があって、

「これからの世界はすべての人が目的感を持つことが重要だ」と述べていました。(もう少し良い言葉だったのですが記憶が、、、笑)

 自分より大きい組織や社会のために自分が「役に立っている」「貢献している」という認識を持つことができるようになるのが今後は重要になってくるのではないかなと・・・

 

 

いろいろ言ってきて、私自身はどうなのかというと、

 ちょっとした出来事があって「自分にとっての働くとは?」っていう今後の根本のような部分が一瞬で崩れ去ったので、大変困っています笑

 

言語化ってほんとに難しいですね・・・

お題にあやかりながら、自分の過去の恋愛をちょっと・・・

今週のお題「私の沼」

 

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今日は久々に一日丸々オフになってしまったので家でゴロゴロしたりあれやこれやと色々していたわけですが、「一人」という状況が自分の中で当たり前になってしまっていることにそういえば気づき、、、

 そんなことより、今日がオフだからというわけではなく常に一人で行動しているなということに気が付いてしまいました笑

 なのでお題にあやかって、自分の沼は「一人行動」かなと思っています・・・

 

 様々な記事の中で私は「一人」で行動することのメリットであったり一人行動を私がやたらしているという話をしてきましたが、「なぜそんなに友達がいない人みたいになってしまったのか」その元となったエピソードでも話そうかなと思います。

 

 

 元から一人行動に変な抵抗がなかった私なのですが、こんな私にも1,2年前に彼女という存在の方がいらっしゃいました。その人とは彼これ一年程度お付き合いをしたのちに別れたのですが、その時に覚えているのがやけに「束縛が強かった」ことを覚えています。私は基本的に女性と連絡を取ることを禁じられていて、彼女がいる前で会話をするなど言語道断でした。

 女性と連絡を取ったり会話をするのは一応普通の人間として当たり前の行動であると思っていますし、そこで友情と恋愛感情の分別をつけることもできる自信があったのですが鼻から信用してもらえませんでした。(もしかしたら自分の何かが悪いのかもしれないですけどね・・・)

 私には変に束縛をするにもかかわらず、彼女はというとほかの男をはぐらかしていい感じの関係になっていることを私にアピールし続けていました。恐らく私の嫉妬心をあおりたかったのでしょうが、妙に冷めている私ですからテキトーに流していました。(笑)

 

 そんな時にふと思ったのが、「なぜ付き合っているのか」というシンプルな疑問。

 

 そしてこれが厄介なのですが、「付き合うってなんだ」っていう何とも哲学的な難題に直面してしまい、今でも答えが出ておりません。笑

 ただ一つ思ったのが、付き合うの延長線上には「結婚」というステップが上手くいけばあるのであれば、彼女は「違う」という結論に至って今に至ります笑

 

 久々に独り身になって気づいたことがあって、それが「人間関係構築がとても自由になった」ということです。人間関係だけではありません。彼女のためを思って使った時間やお金もすべて自分のコントロール下における。「自由」に対しての喜びを大きく実感してしまったのです笑

 今度価値観の合う女性とお会いすることになったとしたら、またその時は時間やお金を多少使ってでも幸せを選ぶと思いますが、今は今で充実してるなという印象を持っています。

 

 

 

 ただ一つ言えることがあって、

 彼女はほしいんですよ!!笑

 求めていないわけではないんです。ただ「いないと死にたくなる」みたいなヒステリックなほど追い込まれてはいないんですよね・・・

 

 「付き合う」って何ですか

 この答えがほしいのですが、どなたかヒントをいただけないでしょうか・・・。

 

今日のBGM:武部聡志カルチェラタン」←ジブリ映画「コクリコ坂からの曲です

「運」をコントロールする

 

 こんばんわ~

 ふとアクセス履歴を見ると100人を突破していたのに驚きをもちながら、同時にこの場をお借りして感謝をしたいと思います。ありがとうございます!!

 ブログを書き始めて2か月弱で100人というのは恐らくかなり少ないのではないかなと思っています笑 

 

 少ない理由は明確で、一つは記事の更新をFacebookなどで告知をしないこと。二つ目は、自分より優秀なブロガーさん(星の数ほどいる)に自分から関わりに行かないこと。まあ後は内容がさほど面白くないってのがありますよね(笑)たださほど気にしていません。なぜかというと、Facebookで告知をしたりすると自分の周りには自分のことを棚に上げて茶々を入れる方々がまあまあいらっしゃるためです。完全に周りの目を気にしていますね笑

 

 

 話は変わりまして、今回は「運」について書いていこうと思っています。

 たいていの人間をしている方々はみな「運」というものは味方でいてほしいと思っていらっしゃると思います。しかしそんなわけにはいかないというのも長い年月人間をしていく中で理解していると思っています。それでも「運」を味方にしたい・・・というループが回るのはもはや人生に原理原則かもしれないですね笑

 ということで、「運」についての解釈や味方につける方法というのを最近情報として入手したり、私が大事にしている考えだったりを書いていこうと思います。

 

1,桑田真澄さんの「運を貯める」

2,私の「運のコントロール

3,千田琢也さんの「運を持っている人になりたいなら」

自分を含め3人の話を載せていこうと思います!(大変おこがましいことは承知しています)

 

「運を貯める」 

 この話は私が中学生の時にあった桑田真澄さんの講演会での話であったことをずっと心に残っていた話です。

 桑田さんは高校時代、かの有名なPL学園のエースとして甲子園を沸かせた一流の野球選手であることは皆さんご存知かと思いますが、この方人間としてもだいぶ完成された方だったんですよね。講演会で印象的だったのが、「私はトイレ掃除も草むしりも後輩に任せずに全部自分がやりました。きれいになった分、拾った分、それはすべて【運】となって私の中で貯まると思っていましたから」という一言。

 中学生ながらに感動したのを覚えています。世の中の常識として、トイレは掃除しなくてはいけないし雑草はむしらなくてはいけないと教育されてきました。しかしそれに対して私自身が納得するような「なぜ」が見つからなかったところに一筋の光が見えたような感覚になりました。

 高校生にしてそこまで意味づけの能力が高かったのは常に頭を使っていた証拠なんだと思います。

 

 

「運のコントロール

 これは完全に私の経験談なのですが、基本的にそんなに運がよくない私にもたまに運が回ってきたことがありましてそういう時に必ず「今までの良くないことを帳消しにしてくれた」と思っていました。もともとの被害者意識みたいなものも多少は問題ですが、中学生時代からさほど良い思いをしてこなかった私には貯まりに貯まった「マイナスな出来事」をすべて帳消しにするような「プラスな出来事」が舞い込んできました。

 最近は人から痛めつけられることがなくなったのでまた話が変わってきますが、結論として前回にも同じ話をしましたが「人生はプラマイゼロ」だと思っています。これは悲しいやつのかわいそうな発想とかではなく本気で思っています笑

 だからこそ、未来にある「プラスに傾いてほしい出来事」が現実化するために事前に「マイナスな出来事」を自分で作り出すんです。(自傷行為とかじゃないですよ笑)この具体的な方法は千田さんの話を参考にしたいと思います。

 

 

「運を持っている人になりたいなら」

 ここからは最近読んだ千田琢也さんの「仕事力をグーンと伸ばす20代の教科書」の中に書かれている言葉を紹介したいと思います。

 「運がいい、持っている人になりたいなら→いつも自分が"ちょっとだけ”損をするように生きる

 これ、自分も高校生くらいからたまたま実践していたんです笑

 なので変な意味で立証済みです。笑

 ここで大事なのは「ちょっとだけ」のニュアンスなのですが、例えば食事に行って割り勘にしたときは端数を自分が払ったりといったレベルを「積み重ねる」ことが重要です。数字で言えば51:49で自分が損しろと書いてありました。

 

 

 ちょっと長くなってしまったのでこの辺で締めようと思いますが、すべてに共通しているのは「前向きに人生を明るくしようとしている」ということと「自分の行動に責任を持っている」ということがいえるかなと思います。自分が幸せになるために、コントロールできる範囲でアクションを起こしているというのが以外に重要かもしれませんね!(あぁ、おこがましい・・・)

 

 多少の参考にでもなったなら幸いです・・・。

 

今日のBGM:Mrchildren「シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~」

論理と情理のバランスこそ、自分のなりたい姿。

 

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 私事であれなんですが、もうほぼ就職活動を終えようとしている状況となっています。世間的には早めかもしれないのですが、その間に様々な社会人に出会い様々なことを考えさせられました。

 

 就職活動でよく聞かれるのは「あなたは将来どうなりたいですか?」という内容の質問を多く聞きます。それに対しての答えがどうしても答えにくかったのを覚えています。なぜかというと答えはシンプルで、「想像つかない」からなんです。

 よく、「私は30歳で○○に昇格し・・・」といった答えを求めてくることがあるのですがその辺の想像をその辺の大学生に求めるのはあまりにも酷じゃないかなと想いながら面接を受けていました。そもそも役職も企業によって呼び名が違ったり規模感が違ったりと散々ですからね笑  決して悪口を言っているわけではないです。恐らく私の性格上そうなるのだと思っています。ほかの就活生は自分よりよっぽど優秀なのでばっちりその辺も話せるのだと思います。

 

一応前提として整理したいのが、「将来像を描くこと」の重要さは認識しているんです。ただ、描き方としてあまり具体的に描けるほど社会を知らないんです。

 

 といった前提を確認したところで、私なりの答えこそが今回のタイトルになっている「論理と情理のバランス」なんです。要はなりたい立場とか状態じゃなくて「なりたい人間」を描こうと思うようにしたんです。これが自分の中でかなりしっくりきていまして、私が就職を決めた会社の社員の人がその言葉にぴったりなんです。ロジカルな思考を持ちながら人の感情にも素直に共感できるようなそんな人間に素直になりたいなと思いました。きっとそれこそが価値を生み出せる人間になる秘訣かなと私ながらに勝手に思っています。

 

 自分のなりたい人像を言語化したらこのようなことになって、非常にしっくり来てはいますが、これが就活中の面接の回答になるかと言えばまた別の話になるのでそこはご容赦ください(笑)

 そして良ければコメントの方に自分のなりたい姿などをぜひ教えていただきたいです!!

 

今回はこの辺で締めようかと。あと、朝のスタバは静かだからとっても落ち着きます(どうでもいい)笑

 

今日のBGM:Maroon5「Sugar」