Human resource

人材業界でありコンサル。田舎育ち体育大卒が意識高い系社会人を体現した末路

今日の晩。ドンキで奇声をあげながら両親に何かを訴える子供に出会いました。

 最近思ったことではあるんですけど、今日の話の軸は大きく二つ。

1.「場所」  2.「子供の教育」   という軸で題について話していこうと思います。

 

場所

 まずそもそも今日ドンキに行ったのですがそこで買い物する人のイメージの話からしようかなと思います。ドンキは「激安の殿堂」ですからまあコスパがいいわけです。なので、シビアな話になりますが経済力がない人が良く利用しているわけです。まあ一人暮らしの学生である私もまあドンキで買い物しているので同じ分類の人間なんですけどね笑

 また恰好の話をすると、やけにスウェットの人がいるような気がします。完全に偏見です笑

 

 

 若干話が変わりますが、千田琢也さんという著者がいらっしゃいますが、彼は経済力がある人はお金を使って「人間のレベルの高い空間」を作り出すといっています。これを例えたら電車のグリーン席や飛行機の座席などがあると思います。それをドンキに置き換えたら、逆の人間の居場所みたいになりますね。

 

 

子供の教育

 題名の通り、ドンキで買い物していたら奇声をあげている子供に出会いました。別に子供に対して怒りの感情があるというわけではないんです。私が気になったのは両親の方です。

 その親子をついつい観察してしまったのですが、その子供はもともとは普通に会話をしていたのですがひょんなタイミングで奇声をあげて何かを訴え始めました。子供の年齢は小学校3年生くらいだと思います。普通に考えて奇声を上げる必要がない年齢なのです。

 

 そんな子供が親に対して奇声を発してじゃないと訴えていることが伝わらない。世間一般の言葉で言えば「どんな教育してんだよ」ということになる。まあそらそうなのだが、ここで一応「自分ならどんな教育をするとなるとどうなるのか?」ということを考えてみたのだがやはり結婚もしていないし子供がいないから想像がまるで分らなかった。

 

 思ったことは、ドンキにいる人の子供は奇声を発するが、都心の子供が奇声を発するイメージはない。これは人間のレベルの場所と合致するのかな~って。

 経済力と合わせるとあまりにもシビアな話になってしまうからやめたいのだが、本質とか現実とか見てしまったらそういうことなんだろうなと。人のレベルが子供のレベルに直結してそれが要は「子育ての水準」なのかなと。

 

そもそもの話として、子供が多少の発達障害の場合などもあるので毎度のこと自分の勝手な思い違いなのであしからず・・・

 

 

だめだこの話するとネガティブすぎるからこの辺りで終わりにします。あんまりよくない内容でしたね。