「運」をコントロールする
こんばんわ~
ふとアクセス履歴を見ると100人を突破していたのに驚きをもちながら、同時にこの場をお借りして感謝をしたいと思います。ありがとうございます!!
ブログを書き始めて2か月弱で100人というのは恐らくかなり少ないのではないかなと思っています笑
少ない理由は明確で、一つは記事の更新をFacebookなどで告知をしないこと。二つ目は、自分より優秀なブロガーさん(星の数ほどいる)に自分から関わりに行かないこと。まあ後は内容がさほど面白くないってのがありますよね(笑)たださほど気にしていません。なぜかというと、Facebookで告知をしたりすると自分の周りには自分のことを棚に上げて茶々を入れる方々がまあまあいらっしゃるためです。完全に周りの目を気にしていますね笑
話は変わりまして、今回は「運」について書いていこうと思っています。
たいていの人間をしている方々はみな「運」というものは味方でいてほしいと思っていらっしゃると思います。しかしそんなわけにはいかないというのも長い年月人間をしていく中で理解していると思っています。それでも「運」を味方にしたい・・・というループが回るのはもはや人生に原理原則かもしれないですね笑
ということで、「運」についての解釈や味方につける方法というのを最近情報として入手したり、私が大事にしている考えだったりを書いていこうと思います。
1,桑田真澄さんの「運を貯める」
2,私の「運のコントロール」
3,千田琢也さんの「運を持っている人になりたいなら」
自分を含め3人の話を載せていこうと思います!(大変おこがましいことは承知しています)
「運を貯める」
この話は私が中学生の時にあった桑田真澄さんの講演会での話であったことをずっと心に残っていた話です。
桑田さんは高校時代、かの有名なPL学園のエースとして甲子園を沸かせた一流の野球選手であることは皆さんご存知かと思いますが、この方人間としてもだいぶ完成された方だったんですよね。講演会で印象的だったのが、「私はトイレ掃除も草むしりも後輩に任せずに全部自分がやりました。きれいになった分、拾った分、それはすべて【運】となって私の中で貯まると思っていましたから」という一言。
中学生ながらに感動したのを覚えています。世の中の常識として、トイレは掃除しなくてはいけないし雑草はむしらなくてはいけないと教育されてきました。しかしそれに対して私自身が納得するような「なぜ」が見つからなかったところに一筋の光が見えたような感覚になりました。
高校生にしてそこまで意味づけの能力が高かったのは常に頭を使っていた証拠なんだと思います。
「運のコントロール」
これは完全に私の経験談なのですが、基本的にそんなに運がよくない私にもたまに運が回ってきたことがありましてそういう時に必ず「今までの良くないことを帳消しにしてくれた」と思っていました。もともとの被害者意識みたいなものも多少は問題ですが、中学生時代からさほど良い思いをしてこなかった私には貯まりに貯まった「マイナスな出来事」をすべて帳消しにするような「プラスな出来事」が舞い込んできました。
最近は人から痛めつけられることがなくなったのでまた話が変わってきますが、結論として前回にも同じ話をしましたが「人生はプラマイゼロ」だと思っています。これは悲しいやつのかわいそうな発想とかではなく本気で思っています笑
だからこそ、未来にある「プラスに傾いてほしい出来事」が現実化するために事前に「マイナスな出来事」を自分で作り出すんです。(自傷行為とかじゃないですよ笑)この具体的な方法は千田さんの話を参考にしたいと思います。
「運を持っている人になりたいなら」
ここからは最近読んだ千田琢也さんの「仕事力をグーンと伸ばす20代の教科書」の中に書かれている言葉を紹介したいと思います。
「運がいい、持っている人になりたいなら→いつも自分が"ちょっとだけ”損をするように生きる」
これ、自分も高校生くらいからたまたま実践していたんです笑
なので変な意味で立証済みです。笑
ここで大事なのは「ちょっとだけ」のニュアンスなのですが、例えば食事に行って割り勘にしたときは端数を自分が払ったりといったレベルを「積み重ねる」ことが重要です。数字で言えば51:49で自分が損しろと書いてありました。
ちょっと長くなってしまったのでこの辺で締めようと思いますが、すべてに共通しているのは「前向きに人生を明るくしようとしている」ということと「自分の行動に責任を持っている」ということがいえるかなと思います。自分が幸せになるために、コントロールできる範囲でアクションを起こしているというのが以外に重要かもしれませんね!(あぁ、おこがましい・・・)
多少の参考にでもなったなら幸いです・・・。
今日のBGM:Mrchildren「シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~」